アウトバック : ジムニー用エアロッカー開発秘話 (その2)
週末をまたいでしまったので、お待たせしました, 前回のジムニー用エアロッカー開発秘話の続きです。
開発秘話(その1)編に 沢山の”イイネ”ありがとうございました。
ARB・アメリカ支社のエンジニアとの、オーストラリアARB本社への出張日程が決まり、日本仕様のジムニーの資料を急いで集めました。
4x4IMPSの関根社長様にご相談したら、なんと3台分のノーマルデフ&キャリア実物とデータを、快く提供してくださいました。
事前に、それらをARB社に送る事も時間的にギリギリ出来たのですが、 ARB社と会議をする上で、その場で3台分デフ&キャリアを ”ドカン”とテーブルに載せた方が、インパクトがあるだろうと考えました。
しかしそれは、衣類などと一緒に、機内へとハンドキャリーで持ち込むという、大変な力仕事になります。
当然の事ながら、飛行場での搭乗手続きでは、超過重量で料金交渉があり、X検査で怪しiい物と疑われ、いつもより面倒な搭乗手続きとなりました。
出発地の日本で、すでにこういう状態ですから、到着時のオーストラリアの税関で ”これは何か?” の質問に始まり、”泥が付いてないか” のチェックまで、入念に1時間半以上チェックされ、
税関のカウンター前で、貴重な時間を費やしてしまいました。
(オーストラリアは動植物の検疫が厳しく、泥の持込みも厳しく監視されます。)
運悪く、数日前に日本人が この空港で薬物持込みで逮捕された事件があり、スーツケースの隅々までも、X線検査も受けるはめに。
大変な入国検査になると予想はしていたので、最終的にはエアロッカーのカタログを見せ、オーストラリア製品の開発のためだと説明しようと、ARB社のカタログを事前に持って来ていたのは正解でした。
結局、”オーストラリア製品をプローモーションしているイイ奴だ” と誉められ(笑)、開放されました。
(当時のARB本社 2階の景色の良い所が社長室)
空港からARB社に直行し、直ぐにARBの社長と面談となりましたが、パートナーのARB・USAのエンジニアが、なんと急遽欠席。 結局、援護射撃無しで、僕とARB社長と二人だけの交渉となってしまいました。
まずは大きな会議用テーブルに、持参したノーマルのデフ&キャリアを ”ドカン”と乗せ、ARB社長と二人っきりで、ジムニー用エアロッカーを開発して欲しいと直談判に成りました。
ARB社長が 日本での要望が高まっている事を察してくれて、秘書にARB本社・エアロッカー・チーフエンジニアを部屋に呼ぶように伝えました。 (その後、チーフエンジニアは雑誌の取材中にも関わらず、社長室に飛び込んできました。)
(ARB社のエアロッカー開発現場)
以前、このエアロッカー開発責任者からは、ジムニー用のエアロッカーは、小さなデフにARBの基準の強度を持たせるのは技術的に大変だし、全ての工作マシーンを特別に準備しなくてはならない等のネガティブな話をしていたので、一瞬僕は、消極的な悪い展開を予想してしまいました。
彼が部屋に入って来るやいなや、ARB社長が、
”君の実力なら、ジムニー(サムライ)用エアロッカーを作れないわけ無いだろ?”
とエンジニアのプライドをくすぐる様な聞き方で、彼に質問を投げかけました。
ARB社長の人事マネージメントの上手さを、改めて感じた瞬間でした。
社長からこういう風に質問されたら、消極的な回答は出来ませんよねw
今まで個人的に話した時は、あれだけ消極的だったチーフエンジニアが、二つ返事で”出来ますよ” って言うんですから。
これで、技術的な問題は一つクリア。
その後は、数量的にどれくらい購入できるかという話になりましたが、ジムニー用エアロッカーが売れないと弊社が潰れる、というぐらいの大量発注の約束をしてきました。
(当時のエアロッカー生産現場)
(倉庫 その1)
(倉庫 その2 キャノピー専用)
数ヶ月して、1個の試作リア・エアロッカーが到着した時には、本当に感動しました。
弊社に社有車のジムニーが無かったので、困っていた所、パソコン通信・NIFTY繋がりの方が、テスターを申し出てくださいました。
テスターの方の詳しいレポートには、実際には決して行わない様な過酷なテストまで再現して下さった事が、詳しく丁寧に書かれていました。
そのレポートは、現在も大切に弊社で保管させて頂いていますし、ARB社でもこのレポートが貴重なデータであるとして、感謝されました。
このフィールドテストレポートとARB本社でのテストを共に終え、最終仕様を反映させたジムニー用エアロッカーが、ついに1999年8月、販売開始となったわけです。
当時、たくさんの方からジムニー用エアロッカーの販売に喜びの声を頂き、ご注文も頂きました。
僕としては、ジムニー用のエアロッカーは、多数の日本マーケットのユーザーの声があったからこそ、開発されたのだと思っています。
おかげで、その声をARB社に届ける事が出来ました。本当に良かったと思います。
当時ご協力いただいた多くの方々に、改めて感謝を述べさせて頂きたいと思います。
結局、ARB・USA支店は、何も関与しないで、サムライ用エアロッカーを手に入れた様な状況になっていますが、当時、米国ではサムライの横転問題が叫ばれて、サムライの販売台数が激減していました。 それゆえ、マーケティング上、日本主導でジムニー用エアロッカーの開発を進めて欲しかったのではないかと、後で気が付きました。