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アウトバック : 実寸台プラモデル

今日は、鬼のように忙しい日で、今日中に帰れるか不安ですが、ブログだけは営業日ベースで毎日書こうと決心したので、何とかアップしました。

今までカタログ用にと撮り貯めて来た写真をエピソードを含めて、ご紹介します。

今回は ディスカバリーを大型写真スタジオに持ち込んだ時の写真です。
決められたスタジオ使用時間内に いかに全てを撮影するかは、ディレクターさんの時間を割りふりに掛かっています。
それに従って、スタッフの方々と弊社で手配した4WD好きのサポーターの皆さんが、ディレクターさんの指示のもと、一つずつ撮影をこなしていきます。
このディスカバリーの時には 装着パーツの全て並べて撮ると言う企画を行いました。

時間を節約するために、最初は、ARB製パーツ&関連パーツ全てを予め、弊社で装着しておいての搬入、車両全体や、パーツ装着部分の細部の撮影をします。
意外と大変だったのは エアロッカーのスイッチを光らせての薄暗がりでの撮影。 一見簡単そうに見えて、露出によってのイルミネーションの発色が微妙に変化してしまうところが難しくて苦労しました。
その裏で、カメラマンさんが上方から撮影できるようにやぐらを組んだり、次の車両の準備をしたりと 1分1秒も無駄にしない様なスケジュールをディレクターさんの指示のもと、皆が動く姿は ある種、気持ちよさを感じました。

クライマックスの 全てのARBパーツや関連部品を車両から取り外して、”ノーマル状態のディスカバリーと、取り外された全てのパーツ” の全体撮影は 予想どおり、大変でした。 

この企画は、実寸台のプラモデルに見せたいというコンセプトで撮影したのです。

スタジオ外で、予め、簡単に部品を取り外せる様に、ボルトを抜いて仮止め状態にしておいたのですが、重い部品は数人掛で外す必要があるので スタッフの手が足りません。 予定の倍の時間をここで使ってしまいました。


サファリ・シュノーケルは車両ボディーにエアロパーツ用の両面テープで貼り付けたダミーを製作しましたので、車両・フェンダーには穴があいてません。 この撮影の為だけに シュノーケルを1本無駄にしました。  撮影後には、しっかり穴を開けて、装着しました。
(完成写真!)

ようやく、撮影が終わっても、最低限、車を動かせるようにしてスタジオから出さないといけません。

この1カットの撮影に途方も無く、大きな労欲と時間をかけた事を この写真1枚から理解して頂けると嬉しいです。

ようやく終了して、写真の出来上がりを期待して数日、代理店さんから、電話があり、カメラの機材不良ミスをして、撮影した画像全てが露出オーバーで再撮影が必要。
もう一度 取り直しと言うオマケも付いて、2回も同じ事をする事になりました。

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欲しい車が販売されていない。  第2弾

欲しい車が販売されていない、第2弾です。
このシリーズを続けていると 僕は欲しい車だらけの物欲主義者と誤解されるかも知れませんが、決してそうではありません。(笑)

(写真が逆さまとご指摘が来るかも知れないので ご説明します。 オーストラリアは 別名:ダウン・アンダー と呼ばれています。 南半球なので 北半球の欧米人から見ると 逆さまに見えるからと言う事のたとえです。)
この ”欲しい車シリーズ” では、ARB製品を装着した日本では販売されていない日本メーカー製の4x4も順次取り扱って行きたいと思います。

LC70系が日本でも販売されていた頃、オーストラリアやヨーロッパの取引先に行く時、日本仕様のLC70のカタログをお土産にすると、必ず喜んでくれました。
理由は 4ドアのLC77、LC76が彼らの国々では販売されていなかったからです。
ある意味、外人を羨ましがらせる、自慢が出来た車両でした。

逆にオーストラリアでは 超ロングの2ドア車・トループキャリア(LC75,LC78)が有ったり、ピックアップのLC79が有ったりと日本の4x4ファンには堪らないモデルもありました。  弊社でも依頼があって、何台か輸入した事があり、ARB本社工場において、お客さんのご希望に沿って、ARB製品を装着して貰って輸入していました。
しかし、日本ではLC70シリーズは販売が停止され、そのタイミングで オーストラリアには LC76という4ドア車、それも、V8ディーゼル、32バルブ、インタークーラー付きターボと言う化け物のようなモデルも登場して、僕自身、ショックを受けました。
ランクル王国のオーストラリア人が 以前、日本のLC77を見て、羨ましいやら悔しいやらの感情を日本人に抱いていた、そのままを、ランクル生産国の日本人のプライドにぶつけて来た様な衝撃でした。
日本の法規制に合うよなディーゼルに適合させて、販売していただければ、少なくとも僕は購入します。

(LC70系ピックアップ)    カッコいい

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人に歴史あり 002

昨日のブログ ”人に歴史あり”の続きです。
正直、このタイトルは恥ずかしいので 換えたいのですが、いいタイトルが思いつかないので使います。

今回は内装の話をします。
内装と言っても、運転席&助手席周りですが、 このデザインも初期のクレーモデルから見させて頂いて、当時、若造の僕の生意気な発言を真剣に考えてくださったデザイナーの方々には 今、振り返れば頭が下がります。
初期のクレーモデルは パジェロの特徴とも言える三連メーター傾斜計がスピードメーターとタコメーターの間の一等地に鎮座していました。  ”従来の運転席と助手席間のダッシュボード上では見えずらいでしょう” と言う考えからでした。 
当然、パジェロで実際にオフロードをガンガン走っているメンバーは大反対。
実際走っている時に、傾斜系を見ますか?  傾きを判断するのはドライバーの感性が一番です。
じゃ、なぜ、パジェロの3連メーターはL系パジェロで人気があったか?
それは、パジェロに乗った時に、ドライバーに限らず、パッセンジャー(同乗者)に乗用車とは ”何かが違う” を感じさせる重要アイテムなんです。
(三菱パジェロのカタログより)

そして、初期デザインでは 助手席コンソール上のアシストグリップ(横棒)が廃止され、 更に、トランスファーレバーも廃止されていました。  (僕のL系パジェロは機械式ウインチのレバーを含めて シフトレバー、トランスファーレバーと 3本のレバーが ニョッコリ生えていて、マニアック過ぎてお気に入りの場所でした。)

これもオフロード好きのメンバーからは 猛反対意見が出てきました。
やはり、内装にも乗用車とは違う4WD独特のアイデンティティーを残すべきだと言う考えです。  (もっと話したいけど、きりが無いのでw)

最後まで大モメだったのが、外装のルーフドリップ(雨どいの様な物)を残すか、廃止するかという問題。

僕の考えは、4WDには デザイン上の ”隙” を残して置かなければならない。
その”隙”を利用して、ユーザーは車をカスタマイズする楽しみを得る という考えを主張し、ルーフドリップの存続を主張しました。

デザイナーは完璧な商品を作りたいし、 営業部門はルーフドリップを廃止したデザインだと 近代的で 価格を数万円多く載せて車両価格が設定できるという意見で話し合いは混沌とした状態でした。

そして、そこからの折衷案で 2ドアはルーフドリップ無し、4ドア車はルーフドリップモールありと言う形でまとまりました。

V系パジェロ発売当時の4WD業界パーツメーカーさんには この4ドア車のルーフドリップのお陰で、アフターマーケットでルーフラックを沢山販売できて、儲かった所もあるんでしょうね。

2年間ほど、こう言った会議が行われて、デザイン決定して生産・実験部門に開発は引き継がれて 僕たちの特命チームの活動は終了。

丁度、その頃、上司から ”君は自動車メーカーで一番、楽しい仕事をこの若さで出来て幸せだと思う。” と言われてハッとしました。
学生時代から、自動車関連産業の中で、自分の足跡を残したいと思っていたので、この辺が自動車メーカーでの潮時かと考えて、退社を決意して、次のステップ、自動車関連の輸出入業務を学ぶ目的で 某大手商社の自動車部に移籍することになりました。 

三菱自動車での経験は 今の僕の大切な部分であり、今後、どんな進化したパジェロが発売されてくるか、興味あります。  自動車は その時々の時代が反映されている鏡だと思っています。   今の時代に、ルーフドリップ、助手席アシストグリップを残すという考えは古いかも知れませんが、せめて トランスファーレバーだけは4WDからは取り上げないで欲しいと考えています。

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人に歴史あり

まずは お知らせがあります。
12月21日より、このページはみんカラ・プラスに移行の予定です。
みんカラ+になることによって いろんな機能がアンロック(解除)となりますので、より一層のサービスがご提供できます、ご期待ください。

さて、タイトルで”人に歴史あり”と 大層な見出しを書き込んでしまいましたが、僕自身のチョッとした過去の経緯です。
週末、自宅の書庫の整理をしていたら、偶然にも三菱自動車の商品開発部長さんからのお礼状が出てきたので この話題を書きます。
普通、株式会社アウトバックのイメージと言えば、ランクル系とかジムニーのエアロッカーというイメージをお持ちでしょうが、 実は僕個人はパジェロと深いつながりがあるんです。 この辺をご紹介します。
大学生の時、アルバイトで新車のSJ40を購入して、地元の千葉の4WDクラブに入会させて頂きました。 30年ぐらい前です。  阿字ヶ浦砂丘や極寒の富士精進湖登山道など、今は立ち入り禁止になってしまったオフロードなど、ハードなクロカンを毎月走るのが楽しみで、2速+半クラ発進でのトラクションを左足に感じながらの発進等、いろいろ勉強させて頂きました。

大学を卒業して 入社したのは 三菱自動車工業本社・海外営業部・北米担当部署でした。 当然、オフロード好きの僕はL系パジェロ2ドア、4ナンバー(機械式ウインチが物品税免除で無料で装着できるので)を 入社と同時に購入しました。 
配属されて直ぐに 新車を購入、それもパジェロと、変な新入社員だと噂が広がってしまいました。

週末、その車で草レースに参加して優勝したりしていたので、社内報で取り上げられて、あっと言う間に、変人(?)社員で社内中の有名人になってしまっていました。
これが、偶然にも社長の目に留まった様で、次期パジェロ(V系)の開発チームに召集されるという幸運にめぐり合うことのきっかけでもありました。

当時の三菱は絶好調のL系パジェロの次期車を開発するという事で、力の入れ様は半端のないぐらいで、社内も緊張していて、粘土で作るクレーモデルも 実際にオフロード・マニアの若造の僕たちの意見を どんどん取り入れてくれました。

V23C Jトップのコンセプトもこの中から出てきたもので 大径で太くなりすぎないサイズのタイヤ、 重量は極力軽く、エンジンは当時、最高級のV6ガソリンエンジン。  リアデフロック装着(僕達はフロントもお願いしたのですが、必ず、リアのどちらかのタイヤは接地していると言う偉い方の一言でボツ。 対角線スタックを知らなかったのでしょうね。)

当時、僕たちの希望するパジェロのほぼ全てを形にしました。

さらに、僕の意見が一番多く採用されたのは コクピットでした。



続く (書く事が多いので)

関連情報:http://www.mars.dti.ne.jp/~outback/top.htm

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旅先での驚き 2 (粘土との戦い編)

昨日のブログに引き続いて タイでのアドベンチャー・オフロード・ドライブの記録の続きです。

昨日の最後の写真、”駐車場から続く、急な粘土質のヒルクライムの写真”は この後、数日の行程を予想させます。

熱帯雨林であるが故に、湿度が高く、車高よりも高い草の生い茂った道(?)を藪こきしながらの 極悪粘土質のオフローディングは 1km進むのに数時間掛かるような行程を繰り返します。

一番、驚いたことは、熱帯地方のタイの人達が しっかりとスノーチェーンを準備していることでした。  粘土質のオフロードには これが最強の装備品である事は万国共通の知識のようです。 
深い水溜りも沢山あって、勢いでクリアして行きましたが、ここは本来ならシュノーケルが欲しいところです。 (当時は、タイにはシュノーケルがあまり知られていない時期でしたが、最近のバンコクの洪水のニュースではシュノーケル装着車を多数見ましたので、普及したのでしょうね。)
海外でのオフローディングをいろいろ経験してみましたが、今回、初めて経験したのが、荷台に複数の人を乗せてオフローディングに来るドライバーがいる事でした。
不思議に思っていると、すぐに理由がわかりました。
なんと、家の使用人をヘルパーとして荷台に乗せて連れてきたそうです。
前方に、障害物があるや否や、すぐに荷台から飛び降りて、倒木を倒したり、ウインチチングの準備をしたり、車両を押したりしてくれます。
キャンプ地では料理も作ってくれます。
当時、基本的に、タイでこういうオフロードをしている人達は、超上流階級でお金持ちということです。  あくまでも4WDはセカンドカーで、いつもは運転手付きの高級車に乗っている方が殆どでした。
多少の車両故障はありましたが、現地修理で対応しています。
ジムニー(サムライ)の燃料ポンプが故障してしまい、燃料タンクを下ろして、ペットボトルでキャブレターより高い位置に仮設燃料タンクを増設して、重力によって燃料供給を可能にしてしまうアイデアには感服してしまいました。 (数キロ毎に燃料を補給していましたが。)

タイでのアドベンチャー・オフローディングは、とにかく、粘土との戦いの数日ではありましたが、外国人の僕には、へびの恐怖との戦いでもありました。  日本以上に毒蛇の数も種類も多いので、現地の人達以上にビクビクしていたら笑われてしました。
最後に、面白い車両の画像を。
耕運機のエンジンを使ったトラックが、田舎の方では沢山走っています。
現地に人には、通常の光景なんでしょうが、とても新鮮でした。

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